藤圭子さんの生い立ちは幼少期から波乱万丈
藤 圭子さんはどんな人生を歩んだのでしょうか?
藤 圭子さんは、1951年7月5日生まれで、
幼少のころから浪曲歌手の父と三味線を弾く母と一緒に、あちこち旅を してついて回っていた。
両親は、盲目のため、貧しかったようで、娘の藤 圭子さんを必要としていたのでしょう。
たまたま、17歳の時、ステージで歌う彼女をみて、レコード会社の関係者がスカウトし、歌手となります。
18歳で「新宿の女」でデビューとなり、その後、いくつもヒット曲をだします。
19歳の時、歌手の前川 清さんと結婚するも、 1年で離婚
その後、28歳の時に、芸能界を引退し、アメリカに渡ります。
アメリカで宇多田照實さんと出会った そうです。 31歳で、宇多田氏と結婚し、32歳で宇多田ヒカル(宇多田光)さんを出産します
56歳で、宇多田氏とは離婚している。
当時、宇多田氏は、全くお金がなかったそうです。
そのため、藤 圭子さんのお金で暮らしていました。
その後、お金が底をついたのもあり、日本に帰国し、芸能界に復帰します。
42歳の時、宇多田氏とともに、 「有限会社ユースリー・ミュージック」を設立 する。
今回の藤圭子さんの自殺にたいするコメントを宇多田氏はだしている
” 出会った当初から、藤さんには感情的に不安定だった。「攻撃的な発言や行動」を行うようにもなった。
病院へ行くよう勧めたが、拒絶し、彼女の病気はどんどん悪化していったのでしょう。
この12年間は、世界を旅していたという。“
多くの人が、日本にはいない。海外に住んでいる とおもっていたようです。実際は、東京都新宿区に住んでいました。
デビュー前から、藤圭子さんを知っている 林家三平の妻 海老名香葉子さんが、思い出を話されていました。
1年ほど海老名家で住んでいたそうです。
芸能界を引退した後も、娘 宇多田ヒカルさんを連れて、海老名家を訪れていた。
しかし、交流は途絶えてしまい、海外にいると思っており、東京都内に住んでいたのは知らなかった という。
もっと早く苦しみを自分に話してくれていればよかったのにと涙を流した。
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