ティーナ・カリーナ 紅白!?「あんた」故郷思い出す歌 由来?大学は?
ティーナ・カリーナが、紅白確実ではないかとネットで話題となっています。
2012年9月にデビューし、3ヶ月で、2012年の「第54回 輝く!日本レコード大賞」で新人賞を受賞しました。
地元大阪から口コミなどで、全国へ話題となったデビュー曲「あんた」がいまも、泣ける歌や故郷を思いだすとして、人気となっている。
ティーナ・カリーナ「あんた」
18週連続で有線リクエストチャートで100位以内に入っているというのだ。
関西出身の「トイレの神様」をうたった植村花菜は、13週連続で、「粉雪」をうたっているレミオロメンは14週連続だった。
レコチョクの2012年「もっとも泣けた歌」2位
USEN2012 年間リクエストランキング2位 総合ランキング6位
これで、ティーナ・カリーナがどれだけすごいかがわかる 紅白出場が決定してもおかしくはない。
2012年9月、NHK総合「お元気ですか日本列島」でティーナ・カリーナの特集が組まれていた。
2013年3月 テレビ朝日「関ジャニの仕分け∞」に出演をし、
MISIA 「果てしなく続くストリー」96.571点 をとっていた。
その後も、テレビ朝日「関ジャニの仕分け∞」に出演し、沢田知可子 「会いたい」やMISIA「逢いたくていま」を熱唱していた。
ティーナ・カリーナのプロフィール
1986年生まれ
本名は、田中里奈
大阪府生まれ 宮城県仙台市在住
オペラ歌手で中学校の音楽教師の父とピアノとエレクトーン講師の母
うたを歌うのは好きだったが、母親から、「歌を習わないの?」という言葉から、本格的勉強するようになる
夜間大学を卒業
大学在学中から大阪にある阪急百貨店梅田店の「えびせんべい」売り場で販売のアルバイトをしてた。卒業後も続けていたため、約6年半勤め、サービス優秀販売員となる。
ティーナ・カリーナの音楽活動
大学在学中から、ギターを弾いていた友達と週1ぐらいでライブ活動をしていたが、目にとめてくれる人はいなかった。
2011年3月、25歳の時、音楽活動に専念しようと決め、デモテープを50社以上を送ったが、1ケ月たってもまったく連絡はなかった。
すると、2011年5月、突然、仙台の「エドワードエンターテイメントグループ」の音楽プロデューサーから連絡があった。2011年3月11日に東日本大震災が起こったため、デモテープが到着するのが遅れていたのだ。
阪神淡路大震災を経験しているティーナ・カリーナは、すぐに大阪から仙台に移住し、ライブ活動を行った。
その後、2012年9月のデビューから3ヶ月で「レコード―大賞新人賞」を「あんた」の曲で受賞したのだ。
デビュー前には、2012年4月には、POLAのCMソング「輝いて」に抜擢される。
2012年9月12日、デビューミニアルバム「ティーナ・カリーナ」(「あんた」を含む全7曲収録)でデビューする
2013年5月29日、「あかん」をリリースした
仙台を拠点としている「エドワードエンターテイメントグループ」は、MONKEY MAJIK や GReeeeN を輩出している。
公式ホームページ
2012年 「第54回 輝く!日本レコード大賞」
日本レコード大賞 「真夏のSound good!」AKB48
ティーナ・カリーナ
臼澤みさき
小野恵令奈
ティーナ・カリーナの原点
昔からカラオケで歌を歌うことは好きだった。小学生の時は、学校で、みんなで歌を歌っていた。
中学生になり、吹奏楽部に入部したという。そこで、CARPENTERSを演奏し、きれいなメロディーにひかれ、初めて、自分でCDを購入したという。
その後、中学3年生の時に、母親が「歌を習わないの?」といわれて、きちんと習い始めたという。
好きな事を伸ばしてあげようという、母親だったようですね。大学受験前まで、ボイストレーニングをしていたという。
25歳のときに、おじいちゃんに「結婚せえへんのか?」といわれ、本気で、音楽活動に取り組むことに決めたそうです。
「あんた」という曲に決まったのは、レコード会社が、ティーナ・カリーナの作った楽曲の中から選んだという。
デビューの3年前位に書いた歌詞だったそうで、「あんた」という曲は、遠距離恋愛がテーマだったが、実際、ティーナ・カリーナ自身は、遠距離恋愛はしておらず、マンネリ化した彼氏への歌だったという。 その後、当時の彼氏とは別れてしまったそうですが、彼がライブには来ていたようで「あんた」を聴いたそうです。自分のことを歌われているとわかっているでしょうね
紅白出場が決定するか気になりますね
大阪弁丸出しのところが共感を呼び、震災後、故郷を大事にする傾向が高まっています。
ティーナ・カリーナが発するメッセージを多くの人の心にすんなりと入ってくるのでしょうね
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