元大関 把瑠都 引退 今後はロシア人妻エレナと母国エストニアに帰国か?
2013年9月10日に、大相撲の元大関 把瑠都 が、引退を表明した。
11日に会見を開いた。
2010年3月、大関昇格となったが、2012年の9月場所から休場となった。
2013年1月場所で関脇に降格となった。
5月場所の7日目で、持病の左ひざを悪化させてしまった。 「前十字靱帯(じんたい)および半月板損傷」と診断を受けた。
2013年の7月場所は、ある程度まで回復したが、全休した。9月場所の番付で十両まで落ちてしまった。
その秋場所(9月15日から)では、東十両三枚目だったが、全部休場すると幕下に降格です。
大関に上り詰めた人が幕下で相撲を取るのは過去には一度もなく、全休するか迷った末、ここで決断したと思われます
把瑠都 (ばると)プロフィール
1984年11月5日生まれ
把瑠都 凱斗(ばると かいと) 母国エストニアに面するバルト海から命名
本名 : カイド・ホーヴェルソン
出身 : エストニア共和国
身長 : 198cm
体重 : 189kg
得意技 : 右四つ・左四つ・寄り・投げ・吊り
初めてのエストニア力士
2004年5月場所 初土俵
2005年7月場所 十両に昇進
2006年1月場所 幕下 (虫垂炎で全休したため)
2006年5月場所 入幕
敢闘賞受賞
柔道経験者
12歳の時にエストニアの実家のある町で相撲をみた
性格は、とてもおちゃめだという
5ヶ国語話せる(母国語、ドイツ語、ロシア語、英語、フランス語)
2009年2月 ロシア出身の2歳年上のエレナ夫人と結婚した
出会いは、エレナさんの母親が都内でロシア料理店を経営しており、そこで知り合い、4年の交際を経て結婚となった
2012年、1月場所で初優勝した。
ヨーロッパ初の横綱に近づいたエストニア人の把瑠都 だったが、ケガがかなり重かった。
後援者は、 「残念。ケガが治ればまだ戦えると期待していた」と
把瑠都 は、2013年9月2日の番付発表後、稽古場にあらわれていない。
尾上親方は、 「左ひざを完全に治す」としていた。
大関に昇進してからの2012年9月場所では、右足親指剥離骨折 、11月場所では、左太もも裏肉離れ となった。
秋場所と九州場所連続で負け越し、大関から陥落した。
会見
把瑠都 は、「悲しいけど、ケガが治らずに、土俵の上に立つことができません。これ以上番付で下がりたくなかった。1、2カ月してダメなら手術の可能性もある」 と左ひざかかなりひどいことを涙ながらに明らかにした。
思い出の相撲は、2006年の春場所で十両時代に全勝優勝したことだった。
「横綱のチャンスはたくさんあったが、すべてこぼした。自分のせい。性格が優しい部分があった。もっと厳しくすればよかった」
尾上親方は、「本人がけがに不安を持っていて、こういう結論になった。頂点を目指して頑張っていたし、自分も期待していたが、納得している。けがを乗り越え、よく大関まで上がってくれた」 と話した
日本相撲協会・北の湖理事長「大関になって優勝して、個人的にも横綱に上がると期待していただけに残念だ。まだ引退する年齢でもないけど、仕方ない。上半身(の力)で思い切った相撲が多かった」
(報知新聞)
今後は、親方になる予定はなく、相撲界を去るようだが、
「エストニアの観光大使になり、交流事業に携わりたい」
「相撲からは完全に離れるということはない」としている
「楽しい9年間だった。お相撲さんになってなかったら、こんなに素晴らしいファンの方々に会えなかった」 と感謝の気持ちを表した
引退後の活躍も期待されますね
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