佐々木剛 火傷 ホームレス経験後 居酒屋「バッタもん」開業へ
仮面ライダー2号で一躍有名となり、変身ポーズが大ブームを呼んだ佐々木剛氏がいる。
自宅が全焼し、全身や顔にやけどを負い、俳優としてテレビに出演できなくなり、警備員などで生計を立てていました。
離婚し、ホームレスとなるも、現在は、居酒屋「バッタもん」を経営し、仮面ライダーファンが訪れるという。
2012年には、テレビ東京「ありえへん∞世界」や、2013年には、TBS系「爆報!THEフライデー」に出演しています
佐々木剛氏のプロフィール
(ささき たけし)
本名 : 福井憲雄 (ふくい のりお)
旧芸名 : 八代悠 (やしろ ゆう)
1947年5月7日生まれ
新潟県新発田市出身
身長 : 172cm
家族 : 離婚した嫁と3人の子供
柔道初段、空手初段
1968年 芸能界デビューし、その1年後の、1969年 結婚 し、3人の子どもを授かる。
1971年 「仮面ライダー」に抜擢される
・藤岡弘が仮面ライダー1号を演じていたが、バイクの転倒事故で重傷を負ったため、仮面ライダー2号として 一文字隼人を演じた
・佐々木剛がバイク免許がなかったため、「変身ポーズ」をはじめて行い、大ブームとなる
・3ヵ月後に藤岡弘が復帰したため、降板した
1982年に、自宅アパートが全焼し、回復まで壮絶な人生を歩む。やっと、回復し、1995年 日光江戸村で俳優をしながら、師範として演技指導をしていた。
2012年からは、東京都板橋区に居酒屋「バッタもん」を開業している
自宅が全焼で、顔や全身にヤケド
1982年、お酒を飲み泥酔し、ストーブを点けたまたで、寝てしまった。そのストーブに洗濯ものが落ち、自宅が全焼してしまった。 この火事により、全身の7割に大やけどを負った。
東京女子医科大学病院に搬送され、3日間の昏睡状態がつづき、気づくと、集中治療室に入っていた。話すことも動くこともできず、全身は包帯で巻かれていた という。 体中に、4度の皮膚移植手術を受けたそうです
当時、鏡をみて、皮膚移植したため、自分の顔とはまったく違い、「改造人間」だったと後から話しています。
新聞記事には、「仮面ライダー、脱出不能!」と面白く書かれたが、実際は、とても大変だった。
借金返済、手術費、火元だったため延焼したアパートの損害賠償、嫁と3人の子供の生活費を稼ぐため、多くの仕事を掛け持ちした。
柔道や空手をしていたため、警備員として勤務し、1日に16時間働いていた。
ちり紙交換、さお竹売り、石焼きイモ屋などもしていた
石焼きイモ屋は、自分で音声をテープに吹き込み、流していた。サツマイモは自分で仕入れ、売れ行きもよかったという。しかし、路上で絡まれるなどして、焼きイモ屋はやめたという。
佐々木剛の現在の家族は
焼きイモ屋を辞めた後は、お酒におぼれ、ケンカをしていた時もあったようです。パチンコに入り浸ることも多かったといいます
その時に、嫁と別居をしたそうで、さお竹売りをする車で、寝泊りの生活が始まり、 ホームレス生活となってしまった。
結局、妻とは離婚したという。 子どもとは、今でも、交流があるそうです
居酒屋 「バッタもん」
東京都板橋区大山東町に居酒屋「バッタもん」を開業しており、自ら、調理や接客をおこなっている
店名は、仮面ライダーのバッタからきているという。
店内には、仮面ライダーがあり、お客には、仮面ライダーファンが多く来店する。
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