克美しげるの現在 2月死去 愛人の岡田裕子殺害事件と覚せい剤 さすらい エイトマン
歌手の克美しげる氏が2013年2月に脳出血のため亡くなっていた ことがわかった。
アニメ「エイトマン」の主題歌や「さすらい」で大人気だった
「さすらい」は、数か月まえに自殺した藤圭子もカバーした曲だ。
克美しげるのプロフィール
(かつみ しげる)
1937年12月25日生まれー2013年2月27日死去)
宮崎県出身
本名 : 津村誠也
1956年 宮崎県立宮崎大宮高等学校在学中に、仲間と音楽グループを結成
1961年「霧の中のジェニー」でデビュー
1963年 アニメ「エイトマン」の主題歌
1964年「さすらい」大ヒット
1976年5月 愛人の女性を殺害し、逮捕
懲役10年の実刑
1983年 仮出所
カラオケ教室を開催
1989年 覚せい剤取締法違反で逮捕
懲役8ヶ月の実刑
1996年 心臓病、脳梗塞、顔面麻痺の病気を発症
2013年 脳出血で死亡
克美しげるが愛人を殺害
1976年5月、愛人の岡田裕子(当時35歳)を同棲していたマンションで殺害した。
1964年「さすらい」からは徐々に人気が低迷してきた克美しげるであるが、人気だったころの生活からは一変したが、その生活に満足できず、
豪勢な生活はかえれず、愛人も多かった。
1971年、岡田裕子というホステスと知り合った。ホステスの岡田裕子は、既婚者だったが、1972年に夫と離婚している。
岡田裕子は、克美しげるの借金を自分が働いて返済していた。
克美しげるは、岡田裕子に「妻とは冷え切っている」「結婚しよう」と話しており、それを信じて岡田裕子は、一生懸命働き、数千万円貢いでいた。
2度目の結婚をしていた克美しげるには、娘もいた。
しかし、いくらたっても、克美しげるは離婚せず、愛人 岡田裕子と同棲しつつ、妻との生活も続けていた
愛人の岡田裕子と偽装の結婚式をし、裕子のお金で17万円もの結婚指輪を購入していた。
殺害後は、質屋に2万円で売ったともいわれている
1976年、「おもいやり」という新曲で北海道にキャンペーンで行く予定だった。その時に、愛人の岡田裕子が同行するといい、「愛人のことがバレたら、いままで頑張ってきた歌手生命に傷がつく。東芝が再ブレイせるために力をいれてくれているのに、すべてがダメになる」と思い首に手をかけ、絞殺したという
北海道行かなければならない、克美しげるは、車のトランクに愛人岡田裕子の遺体をいれておいた。そのまま、その車で羽田空港にいき、駐車場に止めた。その後、車に血が付いているや悪臭がするとして、警察に停めておいた車を調べられ、克美しげるの車と分かり、逮捕された。
1976年 懲役10年の実刑を受け、1983年仮出所した。
仮出所後、裕子さんの墓参りをし、裕子さんの両親に謝罪をしていることがテレビで中継され、公開謝罪と話題をよんだ
覚醒剤使用で逮捕
埼玉の健康ランドで歌ったり、カラオケを教えるなどしていた。 そこの健康ランドで働く女性と3度目の結婚をする
ファンで大人気となり、生活も裕福となり、高級車などを乗り、派手な生活をしていた
しかし、「殺人歌手」などという人もいて、気持ちが持たなくなっていたという。その時に、音楽関係者から「これを打つと何でも忘れられる」とおしえられ、覚せい剤をはじめたという。
当時の嫁が、挙動不審だと警察に通報し、発覚したともいわれている。
覚せい剤取締法違反で逮捕。懲役8ヵ月の実刑判決
1989年 音楽教室にあったバックの中から覚せい剤と注射器が見つかった
1988年には、音楽教室に出入りしていた男性が覚せい剤不法所持、使用の疑いで逮捕されており、その男性の供述から克美しげるが覚せい剤を持っていると判明されたようだ。
群馬県での生活
32歳年下の妻 礼子さんとは、4度目結婚している。
1996年からは、脳梗塞による顔面麻痺、2006年には大動脈瘤解離などを発症しており、2012年には、「車いすでも歌う」と語っていたそうです
覚せい剤使用で逮捕され、8ヶ月の服役後、カラオケ教室を開催していた
そこでのスタッフが今の嫁の礼子さんだ。
克美しげるの歌が大好きだったという。
その後、結婚をするが、克美しげるには、愛人が多くいたため、結婚を機に愛人とは別れたという。
礼子さんの実家のある群馬県に移住し、生活していた。
歌手の本郷直樹が「さすらい」を歌いたいといわれ承諾し、2009年、テレビで放送された。
その時は、腎臓透析を受け、脳梗塞で言語障害もあるが、歌を教えに行っていた。
1度目の結婚は10代の時
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